日本人の現実離れ

日本人は仮想(バーチャル)が好き過ぎる。

漫画、アニメ、ゲーム、これらは日本人の大好物であり、世界に誇れるようなコンテンツも多数抱えている。これに加えてボーカロイドとか仮想通貨とかバーチャルYouTuberとか、「実在しないけれど価値のあるもの」として扱っているものを全部まとめて仮想と呼ぶことにする。

 

どうして日本人はこれほど仮想が好きなのか。

「現実に疲れてるから」という意見は一旦置いておこう。

 

日本人は仮想を仮想のまま扱うことのできる性質を持っている。実在しないと知りながら二次元アイドルに恋をして(スマホゲーの課金額は日本人が断トツでトップ)、借金をしてまで仮想通貨に夢を見る(ビットコインの40%は日本円で取引されている)。

ある日突然、「この世界はコンピューターの中で動いています」という発表があったとしても、日本人ならすんなり受け入れるんじゃないかとすら思える。

 

では、日本人は他の民族と何が違うのか。

「現実に疲れてるから」という意見は一旦置いておこう。

 

これには、宗教文化が絡んでいる気がする。

例えばキリスト教の信者なら、聖書を読んで神についての理解を深め、協会に通い、クリスマスを祝う。イスラム教ならアッラーを、仏教ならブッダの教えを学び、祈ったり祝ったりする。

じゃあ日本独自の宗教はというと、「強いて言えば神道?」みたいな感じである。そして、その神道についてマジで誰も知らない。キリストやブッダは知っていても、最寄りの神社の名前すら知らなかったりする。

それでも、何の抵抗もなく賽銭を投げ、手を合わせている。つまり、よくわからないものをよくわからないまま扱い、尚且つ価値を感じている。

 

これはある意味思考停止とも言える。「みんなやってるから」という小学4年生みたいにふわふわした理由で簡単に動く。

しかし、それで上手くいっている。国教を定めている他の多くの国と比べても治安が良く、誰しもが規則を重んじる社会を作り上げている。

 

考えてみればシンプルな話で、法律というのは、みんなが受け入れているから成り立っている。

「学問の神様がいます」と書いてあればそれを受け入れて、「人を殴ってはいけません」と書いてあればそれを受け入れる。そういうことにすればそういうことになるし、価値を感じれば価値が生まれる。そこに「有る」とか「無い」とかは関係ない。

 

こうして、キズナアイを神様のように崇めスーパーチャットで投げ銭をして願いごとをぶら下げるという微笑ましい光景が生まれる。文化が価値観をつくり、その価値観が新しい文化をつくる。極自然で美しい流れだ。

 

しかし、ここである矛盾が生じていることに気付く。キャッシュレス化の遅れだ。

キャッシュレス化が進むと、GDPは上昇し、東京都だけでも何兆とかいう経済効果を生むと言われている。にも関わらず、何故現金を使い続けているのか。仮想大好きじゃなかったのか。

 

これについては、仮想を受け入れる理由と全く同じなんじゃないかと思う。

有るとか無いとか関係ない、というのは、別に有ってもいいとも言えるのだ。

 

いまのままで上手くいってる。わざわざ現金を捨てて電子マネーにする必要がない。と、多くの人が考えている。そして事実、セキュリティ面では現金でも電子マネーでもあまり変わらないと言える。治安が良いからだ。

俺個人の話をすると、クレカの番号は抜かれたことがあるが、現金は一度も盗まれたことがない。

 

もう日本人は、「仮想大好きだけど未だに現金や印鑑やFAXを使い続ける謎の民族」として生きつづけるしかないのか。

もしそれを変えようと思ったら、かなり強引なやり方が必要になってくるだろう。

現金だと損をする社会にするとか、街中で財布を取り出すと奪い合いが始まるとか。後者は単純に嫌だけど。

 

一番現実的なのは、「人手が足りない」という状況かもしれない。

少子高齢化がどんどん進んで働ける人が少なくなれば、「無人決済システム入れようか」という話にもなってくるだろう。最終的には全ての労働をロボットに任せて、人間はみんなVRの世界で幸せに暮らそう。

なんて発想になるのは、どう考えても現実に疲れてる

 

塗田一帆(ぬるたいっぽ)

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