文脈をほどいて共に踊る

2019年が終わろうとしている。

「年が明けるとどうなる?」「知らんのか」「2020年が始まる」

2020年っていったらもうあれだよ、未来だよ。2020年からメールが届いたらそれはSFの導入部分じゃん。賞味期限が2020年だったら保存食じゃん。おかしいでしょ。なんだよ東京オリンピックって。まぁAKIRAで知ってたけど。

 

子供の頃はバック・トゥ・ザ・フューチャー2みたいな時代が本当に来るって割と普通に信じていて、でも空飛ぶ自動車はいつまで経っても販売されないし、裸眼ホログラムも、ホバーボードも完成していない。じゃあその代わりに出てきたものは何かって言うと、スマホとYouTubeとVtuberだった。ということでVtuberの話をします。

 

弊ブログは2017年の12月からVtuber(当時はバーチャルYouTuberと呼ぶのが一般的だった)に注目していて、最初に書いたのがいまから丁度2年前に投稿したこの糞記事。ツッコミどころ満載である意味面白いんだけれど、いまのVtuber業界は当時の予想とは全く違った方向に進んでいて、2019年に関して言うと、完全ににじさんじを中心に流行したVライバーの時代だったと言える。

ネット流行語大賞にもなったにじさんじの何が凄かったかと言うと、低コストで回せるビジネス的な仕組みであったり、ライバー同士の関係性を楽しめるコンテンツとしての面白みであったり、まぁ色々と挙げられるんだけれど、一つに絞って話すとなると、それはこれまでの”文脈”をキャンセルして創り出されたところだと思う。何を言っているかわからないと思うので、以下より説明していく。

 

オタクという人種は本当に文脈というものが大好物で、あらゆるコンテンツからそれを見出しては、すぐに「エモいわ〜」という鳴き声を発することで知られている。一昔前が「萌え」の時代だったとすれば、いまは完全に「エモ」の時代。モエからエモへ。こういう言葉遊びもオタクは大好き。

Vtuberというものは様々なインターネットコンテンツの文脈を辿った頂点に位置していて、二次元美少女とか創作とかテクノロジーとか、そういう色んなクラスタ(もう死語か?)が寄り集まって完成した界隈となっている。それはもう”インターネットの総合芸術”と呼ぶに相応しい。

だからVtuberのオタクが文脈を重視するのは当然の結果で、最初期のVtuberはキズナアイがまず有って、そこから「じゃあ私(たち)はこういうコンセプトです」みたいな形で創られていく感じだった。その結果、輝夜月は何もない空間でトークするし、シロは電脳少女だし、ミライアカリは斉藤さんでキズナアイに間違えられてウケた。

しかし、この4人を含めたステレオタイプのVtuberは「YouTuber」という言葉(これも文脈)に縛られていて、その頂点に位置するヒカキンやはじめしゃちょーの”別バージョン”であると言える。そうなると、どうしたって彼らを超えるのは難しい。だから、割と早い段階でそれに気が付いていたキズナアイは「バーチャルYouTuberのキズナアイです」という挨拶を止めて、自らを「バーチャルタレント」と呼称するようになったし、最初からあえてバーチャルYouTuberとは名乗らなかった輝夜月が割と特別なポジションに君臨する結果となった。それでも、彼女らの活動形態は初期の頃からそれほど変わっていないし、コンテンツとしてのポジションもやっぱり変わらない。なんなら、登録者数も1年前からそんなに変わっていない。

 

そういう状況にいつの間にか風穴を開けていたのが、にじさんじを中心に流行したVライバーの存在である。

このVライバーという形態はYouTuberの文脈とは完全に違った角度から業界に入ってきたもので、だから初期の頃は「これでVtuberを名乗っていいのか?」のような議論があちこちで見られたし、それまでのVtuberの活動が”動画”という作品だったのに対して、活動そのものが作品であるVライバーの存在というのは、ある種の色物として扱われていた。しかし、Vtuberという色物の中の更に色物であるVライバーは、その数をどんどん増やしていき、今では最早主流と呼べるまでの規模になってしまった。最初は誰も気が付かなかったんだけれど、Vライバーというのは数が増えれば増えるほど面白いらしい。何故なら、その人間関係の中にVライバー独自の文脈が形成されて、それって物凄くエモいことだから。

ということで、これは当然結果論ではあるんだけれど、にじさんじのやり方はビジネス的にもエンタメ的にも革新的でスマートなやり方であると証明される形となった。

 

革新的なものというのは、最初は気味の悪いものであることが多い。だって文脈を無視しているから。

例えばスマホで言うiPhoneがそれで、それ以前の常識であった「キーボードこそ唯一無二の入力デバイスである」っていう共通認識を完全にシカトして「全部ディスプレイにしちゃおう」ってやったのがジョブズだし、この発想ってギーク(技術オタク)のウォズニアックからは決して出てこないものだったと思う。

オタクだったら、元になっているものをリスペクトしちゃうから。Vtuberだったらキズナアイをリスペクトして、それ風の形式で動画作って、自己紹介して、「キズナアイ面接」とかしちゃう。

にじさんじやホロライブの新人は自己紹介動画すら作らない。その代わりに、”初配信リレー”とか”新衣装お披露目”みたいなものが独自の行事になっていて、新しい文脈を形作っている。

 

ちなみに俺個人としては、いまのV音楽界隈みたいな、徹底的にこれまでの文脈を掘り下げていくタイプのエンタメも好き。だけど、時代には合っていないなと思う。現代人がエンタメを消費するスピードってどんどん加速していっていて、遂にはコンテンツを作る時間と消費する時間が並んだ。それがライバーと呼ばれるジャンルであって、ものによっては1ジャンルで1日に供給されるものが24時間を超えていて、奇妙なツール郡を使って視聴して、それがこれからの当たり前になっていくんだと思う。一方的にコンテンツを受け取るのではなくて、一緒に過ごすとか、共に有る、というタイプのエンタメだ。

いまの状況を2年前の自分に話しても半信半疑だと思うし、それくらいの変動がこのVtuberという業界では起こっている。色々とマイナスなニュースもあるし、ネットコンテンツならではの炎上とか攻撃も目にするようになってきたけれど、まだまだ楽しめるジャンルだと俺は思っている。

 

こうなってくると次に楽しみなのが、Vライバーも含んだVtuberのこれまでの文脈を完全にシカトしたVtuberの登場で、もうやり尽くしたってことは無いと思うから、誰か、キズナアイもにじさんじも超えるようなものを創って欲しいなと思う。Vtuebrのメリットもデメリットもわかってきた今だからこそ創れるものがあると思う。

2020年からはVtuberが登場するTVアニメなんかも何本か始まるし、もっと予想外の方向から、例えばYouTuberでいうピコ太郎のような、特大の驚きとバズが巻き起こるのを期待している。

未来のことは誰にもわからないし、予想なんてできないけれど、だからこそ面白い。

塗田一帆(ぬるたいっぽ)

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