虫のように小さくて炎のように熱い

俺が落ち込むと気圧が下がる。

これが一切の教養を持たない者なら、自分のことを神か、あるいは涼宮ハルヒの生まれ変わりだと勘違いしても仕方がないだろう。

いや、まだ生きてるけどね涼宮ハルヒ。あれ生きてない?まあどっちでもいいや。

 

俺は実際のところ涼宮ハルヒではない。だから、因果関係が逆だとすぐにわかる。気圧が下がったから落ち込んでいるが正解だ。天気が良くなれば気分もよくなる。半日後にはいまの感情は消えているだろう。

しかし、こういった因果関係というのは、意外とわかりづらいことが多い。

 

例えば、物凄い技術を持った人間がいたとする。

いま丁度話題になってるからこの人を例に出そう。少年シンガーソングライター、崎山蒼志。

 

 

この動画は2年前、彼が13歳だったときのものらしい。例のAbemaTVの動画よりも一回り身体が小さくて歌の尺が長い。

彼は所謂”天才少年”として取り上げられて一躍有名になった。そして、彼の歌やギターがいかに凄いものか、様々な所で語られているのを目にする。

しかし、彼が何故その凄い歌やギターを習得することができたのかを語っている者は少ない。

そんなことは彼自身にもわからないかもしれないけれど、ある程度なら第三者が想像することができる。

 

まずは、その圧倒的な物量が挙げられる。

4歳からギターの練習を始めて、これまでに300曲のオリジナルソングを作ったらしい。

これについては単純な話で、たくさん練習してたくさん作れば、それだけ表現もテクニックも上達する。世の中で”天才”の称号を与えられている者は、そのほとんどが、彼のようにたくさんやったやつだ。

 

次に、そのひとつ下のレイヤーを考えてみる。何故、たくさんやることができたのか。

彼はAbemaTVに出演した際に、「自転車に乗れない」ということを告白していた。これは大きなヒントになる気がする。

15歳で自転車に乗れないということは、普通、ない。彼自身の言っていることだけど、自転車っていいでしょ。

 

このエピソードを聞いたときに、「やっぱり天才というのは変人が多いんだな」と思った人もいるだろう。でも、そこで思考を止めてしまうと何も得ることができない。

「自転車はいい。乗りたい」と言っているのに、乗れない。乗っていない。ちょっと練習すればそれで済む話なのに、それをしない。それは自転車の優先順位が低いからじゃないか?

自転車に乗って遊びに行くことをせずに、その分、他の何かをやっているということだ。例えばだけど、音楽とか。

 

彼を取り巻く環境についてもこのエピソードから推測することができる。

彼に、「自転車の練習をして乗れるようになりなさい」と強要する者は、どうやらいないらしい。彼の親でさえ。

一般的な親なら、「息子が自転車に乗れない」ということを気にするだろう。しかし、彼の親はその事実に、彼が小学4、5年生になるまで気が付きもしなかった。これはなかなか特殊な環境だと言える。

 

この自転車のエピソードは、発明王エジソンが、母親に「学校へは行かなくていい」と言われていた話と被るところがある。

そういえば、エジソンもたくさんやったやつだった。

 

崎山蒼志の(あるいはエジソンの)親は、何故息子に”普通でないこと”を許したのだろう。

優しかったから?何も考えていなかったから?

俺は、信頼していたからじゃないかと思う。信頼というのは相互的なものだから、半分は親の、もう半分は子の能力だ。そしてその結果、「こいつには好きなことをやらせておこう」という状態になったのだろう。

 

たくさんやる能力、周りを納得させる能力、そして時には騒がせる能力。

そういうものを一言で表すことができれば、それは「才能」という言葉から置き換えることができるかもしれない。

エネルギーであり、精神であり、自身の外側まで動かそうとするもの……

 

「熱」なんてのはどうだろう。

 

才能というと選ばれた人間にしかないみたいだけど、熱だったら、探せば誰にでもあるような気がしてくる。いや、探さなくてもそこにあるのが熱なのかもしれない。

それを引き出す条件さえ揃えば、誰しもが ”天才的”になれるんじゃないだろうか。

そうであってほしいなと思う。

 

さて、天気が回復して俺がそれを取り戻すまで、音楽でも聴いて過ごそうかな。

塗田一帆(ぬるたいっぽ)

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