俺のマイクラだけみんなのと違ったんだけど

先月購入した「Minecraft(マイクラ)」で、ラスボスであるエンダードラゴンを撃破した。

まあ言ってしまえばそれだけの話で、特に深い意味は無いと言えば無いんだけれど、これは俺の人生においてかなり重要なイベントだったような気がするので、こうして記事に残しておこうと思う。

 

俺のことを昔から知っている人ほど、「なんで今更ゲームなんてやってるの?」と疑問に思っているかもしれない。だから、これから全部説明するね。

いまここに書こうとしているのは俺にとっての”ゲームとインターネットの全て”なので、かなり長くなると思う。暇すぎて禿げそうな時にでも読んでほしい。もう禿げてるよって人は好きなタイミングでどうぞ。

 

 

テレビゲームというものを初めて遊んだのは5歳頃のことだったと記憶している。

……ちょっと遡りすぎ?まあ聞いてくれよ頼む。ある日、兄が友人から借りてきたスーパーファミコン向けのソフト「スーパードンキーコング」のシリーズ。それを1〜3まで通して遊んだ。これらは幼稚園児にとってはなかなか難易度の高いソフトだったけれど、何度も繰り返しプレイし、小学校に上がる頃には楽々とクリアできるようになっていた。同時並行で「ポケモン」の青や金バージョンも遊んでいたけれど、俺にはアクションゲームの方が面白かった。(もうざっくりと検討はついていると思うけれど、俺は93年生まれだ)

 

小学校低学年の間は「マリオ」「カービィ」「ゼルダの伝説」など、主に任天堂のアクションゲームを中心に遊んでいて、その中でも特に「ゼルダ」はかなりの本数をプレイした。最終的には”縛りプレイ”と呼ばれるようなやり込みを基本とし、初見の作品でもハート3つの状態でクリアできるようなスキルと経験をほこっていた。この要因となったのが、「ゼルダの伝説極限攻略」というテキストサイトだ。

このサイトこそが、俺にとって初めてハマったインターネットコンテンツであり、管理人のかみいぬ氏は俺にゲームの楽しみ方を教えてくれた恩師でもある。ゼルダシリーズのあらゆる縛りプレイを攻略日記形式で配信していたそのサイトは、いまでは無くなってしまっているけれど、当時の俺は毎日のように訪問しては記事の更新を楽しみにしていた。

と、ここまでが大体小学生の頃の話なんだけれど、これらのゲームの原体験がその後の人生に大きく関わってくることになる。

 

中学生になってからは、動画コンテンツの時代がきた。

ニコニコ動画に大量にアップされる実況プレイ動画は、テキストサイトとはまた違った良さがあり、思春期真っ只中の俺は、彼ら”実況者”の作り出すコンテンツにどっぷりとハマってしまった。部活が終わって家に帰ったら真っ先にPCを点ける生活はこの頃に始まり、今でも続いている習慣となっている。

実況プレイ動画の中でもとりわけ好きだったのが、所謂”死にゲー”と呼ばれるジャンルで、「The Immortal」で大ブレイクしたhacchi氏や、「高速マリオ」でお馴染みのP氏、それと、これは実況プレイ動画ではないが、「友人マリオ/ポケモンシリーズ」タケモト氏などを中心に視聴していた。

これは「ゼルダの伝説極限攻略」もそうなんだけれど、困難な課題をいかに攻略していくかというのが俺にとってのゲームの面白さになっているらしい。

 

そして、自分でも彼らを参考にして実況プレイをやってみた。

まずはゲーム探しからだが、まだ誰も手を着けていないゲームにしたいという思いがあり、当時のクソ雑魚PCのスペックでも動かせる、そして難易度の高いアクションゲームを漁りまくった。そして、ついにそれを見つけた。

もうここまで書いちゃったから、思い切って打ち明けようと思うんだけれど、今では死にゲーの代名詞となっているあの作品、「I Wanna Be The Guy(アイワナ)」を世界で最初に実況プレイしたのは俺です。証拠ならニコニコにまだ残ってるよ。うっかり当時のアカウント消しちゃって誰にも削除できなくなってるから。

 

当時はいまとは違う名前を使っていて、まだ中学生だったから、まあ色々と大変だった。とある実況者さんが同じゲームをプレイし始めたのがきっかけで急にバズっちゃって、いつの間にかニコニコ大百科の記事だとか、mixiファンコミュニティとかもできてたり。おそらく大百科に名前が載っている中では、当時最年少の実況プレイヤーだったと思う。

それでも部活は忙しいし、親に内緒でリビングのPCで収録していたから、なかなか動画の更新ができずに悩んでいた。ただ、当時は動画の収益化なんてシステムは無かったから、本当に純粋な趣味として楽しんでいた。もし当時そんなのあったら学校行ってないよ。俺はゆたぼんを笑えない。

その俺がバズるきかっけになった実況者さんとは、「一緒にコラボ動画作りましょう」みたいな話も出ていたんだけれど、中3のある日にちょっとした事件が起きて流れてしまった。

 

俺がずっとPCに齧りついているものだから、父親がキレて、受験が終わるまでそれを禁止した。

まあ当然といえば当然なんだけれど、俺の父親はかなり温厚な人間で、あんなに叱られたのは後にも先にもあの時だけだった。そして、そこから部活動だけは続けつつ、偏差値を一気に上げて、俺は第一志望の高校に合格することができた。

この、「ゲームを辞めたら成功した」という体験は、俺の中でかなり重要なものとして残っていて、だから大学受験の頃は勿論のこと、20を超えて仕事をするようになってからも、自らゲームを禁止するようになった。冒頭で語った「マイクラ」は、実に5年ぶりに購入したゲームだった。

 

何故マイクラをやり始めたのか(≒ゲームを解禁したのか)というと、それを語るにはあるひとりの人物の存在が重要になってくる。元プロゲーマーで、今では人気YouTuberとしてノリにノッている男、「KUN」だ。

KUNさんとはまあまあ古い仲で、ある時期から俺は彼の専属動画編集者として働くようになった。彼はライブ配信の様子をずっと撮影していて、俺がその中から重要なシーンだけを抽出して1本の動画にする。それで毎月のお金を受け取る。ということをやっていたんだけれど、その俺が担当していたゲームシリーズこそがマイクラだった。

 

ただ、彼のやるマイクラというのは普通のプレイとは違っていて、「50人でひとつのサーバーに集まってサバイバルする」という内容だった。

彼の視聴者の総称は「KUNキッズ」なんだけれど、50人のキッズが一堂に会するそれは、いま現在でも人気シリーズとして継続中。そんな「50人クラフト」の初期バージョン(?)が俺の当時の仕事だったのだ。

 

今から思い返してみても、それは俺にとってかなり困難な仕事だった。

なんせ、マイクラをプレイしたことがなかった。というか、ゲームというもの自体、自ら禁止している期間だ。だから、一切の知識が無い中で、手探り状態の編集。ほとんど毎回登場する知らない単語を丁寧に検索しつつ、さも当然かのようにテロップを入れる作業。かつて自分でもゲーム実況(と動画編集)をしていた経験があるとは言え、なかなかにキツい環境だった。

それでも、与えられた分の仕事はきっちりこなして、マイクラには徐々に詳しくなっていった。その役職を降りる頃には、すっかりマイクラを理解していた。はずだった。

 

それに気付いたのは、つい1〜2年前のことだ。その頃(というか今でも)俺はVtuberというコンテンツにすっかりハマっていて、自分でも動画を作ってコンテストに出す等、それなりに楽しんでいた。

そんな中、直接のきっかけはわからないが、Vtuberの間で空前の「マイクラブーム」が起こった。それは、主に同じグループに所属しているVtuebrが集まって、ひとつのサーバーでサバイバルを楽しむという形だった。それをぼーっと眺めている時、ふと気が付いた。

 

俺の知ってるマイクラじゃない!

 

え、何、どういうこと?エンチャントって何だ?

村人との取引もブランチマイニングもエリトラもトライデントもトラップタワーも何も知らん!というか、経験値なんて概念あったのか?レベルアップするの?何のために!?

 

そう、マイクラの全てを知っていたつもりの俺はラスボスのエンダードラゴンの顔すら知らなかったわけだ。KUNさんの50人クラフトって相当特殊な環境でやってたんだね……海底神殿攻略するのに丸っと全部砂で埋めて、牛乳要るからって牛そのものを連れてきてたもんね……サバイバルで。

 

というわけで、俺はマイクラというゲームに初めて興味が湧いた。

よくよく調べてみると、どうやら世界で最も売れたゲームらしい。1億7600万本だと、もう日本の人口超えてるじゃん。そんなに人気だったのかあの四角いキャラクターたちは。

しかし、いまからそれを始めるっていうのは、なかなか考えづらい状況だった。まずリアルが上手くいっていないし、動画もブログも何も成功していないのにゲームってのは、どう考えてもダメな道だった。

だから、Vtuberたちが楽しそうに建築や冒険するのを指を加えて眺めていた。

 

どうしたらゲームをプレイしても(自分に)叱られないか?というのはずっと考えていて、ウェブの勉強がてらブラウザゲームを遊んでみたりもしたんだけれど、やっぱりあまり面白くはなかった。

俺のYouTubeチャンネルに数本のアーカイブ動画が残っているけれど、プレイヤー本人が楽しんでいないプレイ動画なんて、全く見る価値がないと思う。

 

事態が動いたのは去年の12月6日。

俺がKUNさんの動画編集をしていた頃からのフォロワーnegi556が、突然メッセージを送ってきた。

 

「今度KUNさんの企画で『300人マイクラ』やるから、一緒に参加しない?」

 

いやいやいや、300って何よ。とも思ったが、あれから何年も経っているし、マイクラの技術はそこまで進歩したのだろう。

しかし、俺はマイクラを持っていないし、ゲームを買うこと自体いまは禁止ってことにしている。だから、最初は断った。「他の人に枠譲りなよ」って。しかし、negi556は「そんな必要は無い」と食い下がった。

 

彼は本当によくわからない奴で、別に仲がいいってわけでもないんだけれど、俺が仕事が上手くいかなくて落ち込んでいる時にKUNさんと3人で飲みに行く企画をしてくれたり(新宿のあそこ良かった……)、俺がインターネットコンテンツとして死んでいる時でも何かと気にかけてくれた。

そしてそれは彼だけじゃなくて、当時から現在にわたって応援し続けてくれている人っていうのは名前を挙げきれないくらい沢山いて……もしかしたら、俺がマイクラをやったらその人たちはちょっと喜ぶんじゃないかなって、そんな思考が脳をかすめた。

そうして、俺は「300人マイクラ」への参加を決心した、というわけだ。

 

初めてのマイクラは、それはそれは楽しかった。

ソロでサバイバルモードにも挑戦してみたんだけれど、もうハマりすぎちゃって1回マジで辞めた。でも気付いたら再開していた。それくらい楽しい。

ゲームをプレイしている間って本当に嫌なこととか忘れられて、それが良いことなのか悪いことなのかはまだわからないんだけれど、それでも、楽しいもんは楽しいなって。そんな感じ。

 

最近はYouTubeでライブ配信なんかもやっちゃって。あらゆる配信者が苦しんだという「トライデント耐久」とか、ちょっとした儀式的なイベントの「ネザー解禁」とか、そして、「エンダードラゴン討伐」ってのを、つい昨日やったんだよ。

 

楽しかった。それが言いたかっただけ。

 

……まあその後にエンドシップが3時間見つからなくて橋作ってたら奈落に落ちて全ロスした時は「ほんと糞ゲーだな」って思ったけどね。そんなもんだよな、ゲームって。

 

さて、これからどうゲームと向き合っていくのかっていうのは全く決めていない白紙状態なんだけれど、多分YouTubeのライブ配信は時々やると思うので、興味のある人はチャンネル登録よろしくお願いします。基本的に完全ゲリラだから、通知はオンでよろしく!

 

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塗田一帆(ぬるたいっぽ)

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