俺にはワニが死ぬところが見えなかった

「100日後に死ぬワニ」のワニが死んだらしい。

らしいというのは、その瞬間が直接描写されなかったから。

その最終話がこれ。

 

 

これまで100日間という期間毎日連載を続けてきたこの漫画。ものすごい数の人々がその「死」について予想や考察やパロディを繰り広げていて、最終的にはマスメディアも取り上げるなど、かなりのお祭り騒ぎだった。

俺もそれに参加していたひとりで、俺の読みはこうだった。

 

 

前半のツイートは完全に空振りで、リプに追加した方はまあ的中と言っていいと思う。50点といったところ。ただ、これがもしただの勘だとしたら「死ぬ瞬間の描写は絶対に無い」なんて言葉を使うわけがないので、どうしてそう考えたのかをここに書いていこうと思う。

 

そもそもの話、漫画やアニメという媒体で人物の死を描くというのは滅茶苦茶難しい。何故なら、どうしてもシュールになってしまうから。ヤムチャも、オルガも、キラも、エースも、みんなインターネット上ではネタ扱いされているのを、このブログの読者なら知っていると思う。

じゃあ、自分があの絵柄の漫画家であるとして、たったの4コマで、主人公の死をドラマチックに描写できるか?と考えると、それはあまりにも困難。どうやったってシュールになってしまい、それはネタ画像として扱われ、クソコラ素材になる未来が見えている。俺が作者なら、それは望まない。

そもそも、「死」のパターンなんて10日目くらいの段階で出尽くしていたと思う。つまり、特定の描写をするということは、かなりの人数に「俺は言い当てた」と言わせてしまう展開を避けられない。これは、書き手としては面白くないだろう。「納得できない」の方がまだマシだ。

それじゃあ、作者が切れるカードの中でそれらを回避する手段はあるか?と考えた時に、それは「パス」だろう。というのが俺の推論だった。要するに、「描写しない」という無敵の表現。この作品は、それを結末に持ってくることができる稀有な存在だった。

 

と、ここまで探偵の推理パートのごとく書いてきたけれど、最初に書いた通り50点の推理なので、別に誰かを納得させようという意図はない。ただ、「勘が鋭い」と思われるのはちょっと違うので、自分なりに解説してみたというだけ。こんな記事を書いても俺の生活に変化は無いし、死んだワニは戻ってこない。

 

「100日後に死ぬワニ」は、こんな解説記事すらも真正面から受け止めてしまえるほどのパワーがある”読者参加型の芸術作品”だと俺は思っていて、作者のきくちゆうき氏のことは、心の底から尊敬している。

この作品をリアルタイムで鑑賞できたことは、少なくとも俺にとっては貴重で楽しいインターネット体験だった。きくちゆうき氏も、作品に参加していたみんなも、そしてワニも、100日間お疲れ様でした。

 

※翌日見たらなんか炎上してるけど、ここでは触れない。

塗田一帆(ぬるたいっぽ)

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