「最近の若者は自分で見るコンテンツを選ばない」
というような話が頻繁にTLに流れてくる。
この現象は確かに存在していて、一応どちらかと言うと若者に分類される俺は肌感覚で正しいと思える。
ただ、これは若者に限った話ではなくて、インターネットコンテンツを追いかけている全ての人に当てはまる深刻な問題であると思っていて、「選ばない」のではなく「選べない」がより正確だと感じる。
どうしてそんなことになっているのか、これから書いていく。
結論から言うと、コンテンツの量が増えすぎたのが原因だと思う。
ここで言う「コンテンツ」には、動画やライブ配信、ブログ記事、個人のツイートも含める。
YouTube、Netflix、SNS、漫画アプリ、ゲーム、それにテレビもまだ現役だったりする。
とにかく、可処分時間に対するコンテンツ量が昔と比べて桁違いに増えているという点に注目してほしい。
例えば、YouTubeライブで配信されるコンテンツは1回2時間前後であることが多い。俺は現在650のチャンネルを登録しているんだけれど、仮にこの内の1割が同じ日にライブ配信をすると130時間 ≒ 5日分のアーカイブが溜まる。こうなるともう「後で見よう」すら不可能。何故なら明日も今日と同じくらいの配信があるから。
まあこの例は極端だけれど、Netflixにある映画全部見る?とか、アプリストアにある漫画アプリ全部チェックする?という風に言い換えると、なんとなく無理そうだなって伝わると思う。
これだけのコンテンツ――無限の暇つぶしが基本無料 or 定額料金で手に入る。
一見、自宅で楽しめるコンテンツが豊かになるのは幸せなことに思える。
しかし、そこにはどうしても選択するという苦しみが発生する。
パラドックス・オブ・チョイスという言葉があって、人間は選択肢が多すぎると思考がフリーズするようにできている。これは若者に限った話ではない。
「<6種類のジャム>と<24種類のジャム>で比較すると6種類の方が沢山売れる」という実験結果があって、ジャム理論とか呼ばれているんだけれど、これは人間の本能のようなものらしい。
これにおそらく関係しているのがマジカルナンバーと呼ばれる概念で、ざっくり言うと人間は6つくらいの数しか一度に把握することができない。(この数字には諸説ある)
それを超えると人は「多いな」としか思えなくなって、順番に確認しようとか、そういった考えが消え失せる。要するに、選ぶという作業が難しくなる。
一昔前は、人々は「ランキング」というシステムに頼ってコンテンツを摂取していた。
音楽ならオリコンランキング、動画ならニコニコのランキング、漫画なら紙の雑誌(この掲載順はランキングになっていることが多い)などに目を通して、上の方から「見る / 見ない」を選んでいくという手法。
しかし、インターネットとデジタルデバイスの発展によって、これだともう処理しきれなくなった。
スマホ1台持っていれば動画が作れるし、タブレットがあれば漫画が描ける。創作のノウハウはブログ記事やYouTube動画でいくらでも手に入る。モーショングラフィックスも3DCGも無料で独学で始められる。
そして、それを人に見てもらうにはSNSにアップするだけでいい。むしろそれが一番いい。
そんな環境によって、ひとつの場所にコンテンツが集まる前提のランキングというシステムは使い物にならなくなった。いたるところに良質なコンテンツがあって、逆にどこを探せばいいのかわからない。
そこでいま流行っているシステムが「レコメンド」で、これはコンテンツ(プラットフォーム)側から「あなたにぴったりですよ」とおすすめするというもの。これだとランキングをチェックするよりも更に楽に判断することができるし、自分に刺さるものを見つけるのが簡単になる。YouTubeもNetflixもTwitterもそういうシステムに力を入れているし、TikTokなんかはもうほとんどレコメンドしかない。
科学技術というのは基本的に人間にとって楽な方に発展するものだけれど、もう自分でコンテンツを選ぶとか無理な段階に入っているので、この流れは今後も止まらないし加速していくと思われる。
と、ここまで消費者の目線でインターネットコンテンツを見てきたけれど、じゃあ創作者はどうするべきかという考えもアップデートしないといけない。
基本的には、プラットフォームにマッチするコンテンツを作るのが重要な時代になっている。
インスタ映えという単語は随分前から存在するけれど、YouTubeならYouTubeで伸びやすい動画の作り方があるし、Twitter漫画ならTwitterで伸びやすい漫画というのが確立されていっている。
「俺はそんなものに従わない。自由につくるぜ!」って人は、かなり茨の道になるんだけれど、独自の工夫をしないと伸びないという状況になる。
例えば、ある意味レコメンドシステムよりも強力なやり方というのがあって、それは消費者に直接見てくれるように頼むというもの。「ダイレクトマーケティング(ダイマ)」とか呼ばれているあれ。
可処分時間が限られている中で自分のコンテンツの優先順位を上げてもらうには、もう消費者と友達になるのが一番いいと思う。これは別に遊びにいったりする必要はなくて、ネット上の交流によって人間として好きになってもらうことが大切。
好きな人が作った動画はハリウッド映画よりも優先して再生される場合が多い。
更に、これが恋愛関係に近いようなものならほぼ100%になる。アイドル系の配信者とかがやたら伸びるのってこれによるもので、消費者と疑似恋愛のようなことをやるとクオリティに関係なく伸びる。
しかし、これにも限界がある。
人間が関係性を保っていられる人数というのは限りがあって、ダンバー数というんだけれど、平均して150人くらいだと言われている。これはSNSが登場する以前の概念なので、やや数字は上がっているのかなとは思うんだけれど、やっぱり限界があるというのは正しい。
古いフォロワーは忘れてしまうし、新しい配信者を追い始めるとその分見なくなる配信者がいる。
「そういえば最近あの人見てないな / 絡んでないな」ってのはかなりあるあるだと思う。
そんな時代において消費者に近い存在であり続けるには、やっぱり浮上し続ける必要があって、作らなくてはいけないという焦りから、最終的に「俺は何がしたいんだっけ」と病んでしまうクリエイターも多い。
その辺りのバランスは人それぞれというか、適応できている者が伸びるんだけれど、とにかく色んな表現方法を試してみるのが重要なのかなと個人的には思っている。
無理なく継続できて満足のいくクオリティを保てるフォーマットを掴めれば、あとは自然と伸びていくと思うので、ちょっと意識して探してみるといいかもしれない。
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