強いやつほど単純だったり単純なやつほど深かったりする

韓国の囲碁棋士イ・セドルが引退を表明したらしい。

引退の理由として挙げられたのは、「AIの登場によって、どんなに努力してもトップになれないことがわかったから」だという。彼を世界で一躍有名にしたのがまさにそのAIとの対局であり、それにまつわる話は個人的にかなり面白かったのと、時代を象徴するようなニュース性もあるので、ここに記録しておこうと思う。

 

本題に移る前に、まずは囲碁というゲームの”ポジション”の話からしたいんだけれど、かなりざっくりと書くので、というか俺も完璧には理解していないので、細かい間違いはスルーしてほしい。

囲碁、オセロ、チェス、将棋等の2人で交互に打ち合う運要素の絡まないボードゲームは二人零和有限確定完全情報ゲームと呼ばれていて、理論上はコンピューターの計算によって完全な先読み(≒絶対に負けないムーブ)が可能になっている。ライアーゲーム風に言えば、必勝法がある。例えば4×4のミニオセロの場合、最大12手で試合が終わるんだけれど、お互いに最善手を打ち続けた場合でも100%の確率で後手が勝利するようになっている。要するに白側で打ち始めれば絶対に負けない。そして、この計算を現代のコンピューターは瞬時に終えることができる。

しかし、これが8×8の普通のオセロ場合は話が違ってくる。最大の手数は60手で、その全てのパターン(10の60乗通りらしい)を計算するのは現実的ではない話になってくる。普通のコンピューターだと生きている間に計算が終わらないからだ。1の後に0が60個続く数字を見てほしい。ね、無理っぽいでしょ?

 

1000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000

ちなみに、日本語でこの数を表すと「1那由多(なゆた)」になるらしい。

 

じゃあ囲碁はどうかって言うと、あの広い碁盤(19×19)をフルに使うと10の360乗通りのパターンがあるとか言われていて、さっきの数の6倍だ、ゼロの数が。日本語だと単位が存在しない。

こうなってくるともう必勝法を見つけるなんて到底不可能なわけで、計算というより発想とかひらめきの勝負になってくる。そして、それならコンピューターよりも、長年の経験を積んだプロの人間のほうが強い。「コンピューターが人間を超えるにはあと10年掛かるだろう」などと言われていたはずだった。あの日までは。

 

Google傘下であるDeepMind社が”それ”を発表したのは2016年1月。なんと、独自開発のAIがプロ囲碁棋士であるファン・フイに非公開の試合で勝利したという。プロ棋士がコンピューターに負けた、世界初の事例だ。そのAIの名前は「AlphaGo」といった。

AlphaGoはその後、2016年3月に当時世界第2位の棋士だったイ・セドル(今回ニュースになった人)との五番勝負を行った。この様子は世界中にライブ中継され、大きな注目を集めた。結果はAlphaGoの4勝1敗。そして、2017年5月には当時世界最強で「自分なら勝てる」と豪語していたカ・ケツに3連続で勝利し、AlphaGoに勝てる人類はいなくなった。

 

AlphaGoは強化学習と呼ばれる手法を用いて学習するAIだ。まず下準備として、大量の教師データ(この場合、過去の棋譜)を学習させ、囲碁の打ち方を覚える。その後は、自分のコピーとの勝負を何度も繰り返し、もの凄い速度で強くなっていく。その結果、人間では到底思いつかないような突拍子もない手をいくつも繰り出すようになっていった。

囲碁に何年の歴史があるのかは知らないけれど、これは要するに、人類がこれまで考えてきた「定石」が不完全なものであることの証明だった。実際の対局でも、AlphaGoが打つ手には、どう考えても悪手に見えるようなものが含まれていた。それでも、最終的にはAlphaGoが優勢になって勝つ。それは揺るがなかった。人類は、自分たちがどうして負けているのかさえ、完全には把握できなかったのだ。

 

それほどまでに強かったAlphaGoだが、そこからさらなる改良が加えられ、2017年10月には「AlphaGo Zero」というバージョンが発表された。これは初期のAlphaGoとは違い、教師データを一切使わずに学習し、それでいて初期のAlphaGoよりも圧倒的に強い。このことは、人間の打ち方を手本に学習してきたAIよりも、完全な独力で学習したAIの方が囲碁の真理に近づくことができたということを示している。要するに、人間的な思考というのは進化の邪魔だったということだ。

さらに、その2ヶ月後にはAlphaGo Zeroを元に作られた、より汎用的な「AlphaZero」というAIが発表され、これは囲碁においてAlphaGo Zeroを、チェスと将棋においてもそれまで最強とされていたAIを破った。AlphaZeroは、そのソースコードが非常にシンプルであることでも注目を集めた。紙に印刷するとたった10枚ほどになるそのプログラムは、あらゆるボードゲームで人類を上回ることができると言われている。

いやいやいや、ここまでくると恐ろしくなってくるね。

 

巷でよく見かける「AIが人間の仕事を奪う」みたいな論ってこういうことで、基本的に専門性が高ければ高いほど、ある日突然AIの能力が人間を上回るようなことが起こると言われている。今回のイ・セドルの場合は囲碁が強すぎたが故に、自分とAIの間にある壁がどれだけ巨大なものであるかを理解できてしまったのだろう。

別にAIに勝てなくても棋士としての仕事を続けることはできるんだろうけれど、それとこれとは別の話で、モチベーションが無くなってしまってはどんな競技だって続けることはできない。別にAIに限らずとも、才能が物を言う世界ではよくあることだと思う。

テクノロジーというのは世界をより豊かにするものだけれど、個人単位で見た時は、その真逆のことも結構起こるんだよね。という話でした。

塗田一帆(ぬるたいっぽ)

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