濁りきった瞳から見たバナー広告のかたち

いまから非常に恥ずかしい告白をする。

かなり滅茶苦茶なことを書くけど、こっちは真剣なので理解してほしい。

 

昨日から、このサイトの下部に広告が表示されるようになった。

この「広告を貼る」という決断をするのに、大変な苦労があったことを知ってほしい。

 

中学生の頃から某掲示板群を見て育った俺は、コンテンツに広告を貼って稼ぐという行為にほんのりとした嫌悪感を抱くようになってしまった。Amazonの商品リンクが貼ってあると、ついアソシエイトIDの有無を確認してしまったり、タイアップ広告の中でPR表記がどこにあるのか探してみたり。それを知ったところで何か変わるわけじゃないんだけど、そういうクセが、いまでもある。

 

歪んだ価値観だということは承知している。でも、なんか生理的に嫌という理由にはロジックが通用しない。だから、いつも自分の中で葛藤してきた。

ストアで公開している自分のアプリの広告は全て排除してしまったし、YouTubeの広告は4回くらい貼ったり剥がしたりを繰り返している。

金は貰えるに越したことはないし、自分にはその権利がある。多くのユーザーは広告を許容するし、むしろ金を出したい人間すらいる。そこまでわかっているのに、すとんと納得できるような言い訳を自分にぶつけることができないでいた。

 

 

そんな俺が、ついに自分を黙らせるフレーズを編み出すことに成功した。その結果があのバナー広告である。(大袈裟に聞こえると思うけど、俺にとっては大切なことなの)

もし俺と同じように歪んだ価値観を持ってしまっている人は、いまから唱えるこの言葉が効くかもしれない。

 

「俺はGoogleから資金調達をしている」

 

出会い系をマッチングサービスと呼んだり、空襲警報をJアラートと呼ぶのに似ているかもしれない。Googleの部分はAmazonでもDMMでもいい。「儲けている」ではなく、「何かを作るために必要な資金を集めている」と言い張るのだ。

そう表現すると、不思議な事に「それなら仕方ないかな」という気がしてくる。むしろ「Googleから資金調達」とか超かっこいい。自分で言ってるのに、本当に奇妙な感覚だ。言葉って便利。

実際にいま貼っている広告はGoogleアドセンスなので、収益が出たらGoogle社から振り込まれることになる。そしてそれは返す必要の無い資本となる。本来の意味の資金調達なら株式などを渡すべきだけど、最近はVALUとかタイムバンクでぼんやりとした価値を売り出している。だから「俺のコンテンツに広告を貼る権利」と引き換えに資金を得ていても、もはや違和感はない。

 

「元々そういうものだよ?」とか言わないで。わかってるから。わかってるから。

 

Googleから入ってきた金は、新しいものを作るのに使う必要がある。だって資金調達だもの。

そしてこれは「これからいい感じのもの作りまっせ」という宣言でもある。

 

まぁ実際に記事とか作品のクオリティが急に上がることは無いんだけど、その辺はほら、成長過程を見守る面白さみたいなものに価値を感じてほしい。

 

ホント言葉って便利だな。

塗田一帆(ぬるたいっぽ)

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